2023 年ワースト3

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これは有名古参タンブリスタ taizooo さんによる年末恒例のアドベントカレンダーの記事です。

アドベントカレンダーのお題に真っ向反しますが、今年は踏んだり蹴ったり年だったので、今年の汚れ、今年のうちに、とばかりに書くことで供養しようかと思います。こんなもんを読むことでみなさんの不幸も供養されるか、不幸が伝染るかはよくわかりません。多分何も起きないでしょう。

優劣序列のあるワーストというわけでもないのですよね。
今年は「等しく最悪な事象が重なることで更なる化学変化を遂げた」という感じなので、時系列で列挙していこうかと。

1月:唐突な帰国

…に至った経緯は、前年12月の話なんですが、それに伴い、昨年大晦日にパキスタンを離れ、時差の関係で長い大晦日をトルコで過ごし、今年の元日の朝に日本に戻ってきました。パキスタンに渡ったのが 2021 年3月なので、正味1年と9ヶ月。

帰国の理由については、書ききれなくなりそうなのでざっくり割愛しますが、2023 年の声を聞く前には戻らねばならぬ、と決まったのが12月も半ばを超えた時点で、この時点では一応、一時帰国の心づもりでいながらも、先の見通しが皆目見えないステイタス。

そう、昨年の同日にアドベントカレンダーで「パキスタンの車窓から」をのほほんと公開した時点では帰国なんてまるで頭にもなかった。あれから一週間で地獄が始まった。

この謎ステイタスが意味する所の影響範囲は実はかなり大きい。
職場との契約期間はまだ残ってるんですが、戻りさえすれば「改めて」部屋は用意してくれるものの、戻り予定が不確実な、永住者でもない外国人のためには、そのままの状態で維持しといてくれる部屋なんかないわけですよ、職場にも。

そんな訳で、ものの10日くらいのうちに一旦全てを引き払わなければいけない。
まずは、

  • 日本に持って戻るべきもの(スーツケースの荷重制限範囲内で)
  • 日本に送るもの(スーツケースの荷重制限範囲超えちゃうもの)
  • いざ戻れたらすぐに必要になるから現地に置いておきたい最低限のもの(段ボールに詰めて現地の友人・知人に託す)
  • それ以外

で仕分けて、「それ以外」は冷蔵庫から洗濯機から鍋から服まで一旦全部手放すことに。

さすがにこんな事態は想定していなかったものの、あちらに向かった時点で「先の見えない暮らしになるから、なるべく物は増やさぬように」は常に頭に置いていた毎日なんですけどね。それでも気づけばモノってのは恐ろしい勢いで増えてるもんなんですよ。
最低限だけで暮らし続けられてるミニマリストってどうやってんの?どうなってんの?

日本にももはや帰れる場所などは持ってないので、滞在先も「2ヶ月か1年か不明」という曖昧な入居条件で、遠隔動画で雑な内見だけで確保。

帰りの飛行機はやや割高だけど、当時預入手荷物制限が最もユルくて機内食がメシウマと評判がよく、トランジットの待ち時間が一定時間以上の場合は無料の市内観光ツアーまでついてるトルコエアーにした。

市内観光ツアーは、観光バスで悠々とあちこち眺めるだけなライトなツアーをイメージしてたんだけど、蓋を開けてみたら坂の多い町中を半日延々と歩かされるメニューで、かなりヘバッた。

ツアーを終えて、空港に戻り、カフェでぐってりしてる間にカウントダウンで2023年を迎えた。

元日の大半を機内で過ごし、夜、日本に到着。

3月:唐突なハラキリ

到着して心身の疲れを癒やして、ようやく平常心を取り戻して、よーし、とっとと戻る方向で色々準備しよう、ついでに、約2年近く帰国しないで放置していた、日本ですべき事務処理もどんどん片付けていこう!
…と思うも、どうも体が重くて、疲れやすくて、塞ぎ込んでしまう。

なんだろう、思ってたより、この唐突な不本意帰国がメンタルにキちゃってるのかすら。もしかしてあたし、病んでるのかすら。
…なんて思いはじめ、そんな危惧がむしろメンタル痛めてるような悪循環。食も細くなり、あれれ、なんか腹具合がずっとおかしい、そのせいか今ひとつ動けない。これ、物理的に病んでない…?

とにかく食が細い、喰うと異様な倦怠感に襲われる、下す。明らかに腹まわりがおかしい。時折、ではなく、毎食確実に。うむ、これは病んでるな。病みかどうかは判らんけど、物理的に治療が必要な状態な気がする。

という訳で、病院通いが始まる。まず、近所の胃腸科を受診しに行ってみる。

胃腸科の先生は、診察台で出された腹を見た時点で、触診の手を止め、触れることなく「これはウチじゃないね、婦人科行ってみて」と勧められる。見ただけでか。ただの下町の診療所のじいちゃん先生だと思ってたのに、そんなに明白な腹なのか。

解せぬまま婦人科を調べると、スープの全く冷めない距離に妙に評判のいい婦人科がある。近所じゃなかったら頑張って行く気にはなれない混みっぷりのようだけど、運良くごく至近なので、当日予約の受付に出向いた後は部屋でのんびり待てる。

行くと、「ああ〜、これは筋腫育ってるねぇ〜。内臓圧迫してるんじゃない。切らないと。腹腔鏡で取れるサイズじゃないね。開腹だね。ざっくり切るよ。うーん、横一直線で行くかー」と、いきなり手術一択の流れに。

思えば確かに 10 年近く前に筋腫の存在は検査で知らされていたけど、年齢的にも育たず小さくなってくかもしれないので様子見しましょう、という話だったのだが、めっちゃ立派に育ってたらしい。

降って湧いた手術そのものもビックリだけど、いや、あたし、ナルハヤで戻るつもりなんだけど?という思いが先に立って、まずは日程調整。向こう数ヶ月分の手術予定はほぼ埋まってたけど、一月半後にねじ込んでくれた。緊急性が高いかというとそうではないものの、ものすごいスピード感をもってものすごいご近所でサクッとハラキリすることになった。

すぐ戻る計画はこれで潰えた。
無理やり戻ろうと思えば戻れるけど、術後の検診だけ現地で見てもらうというのも悪手にしか思えない。

で、入院1週間。
翌日にハラキリ。ざっくり真一文字に20cmちょい。真一文字の切り口の下、皮下を15cm四方。
傷がくっつくまでひと月。
術後検診が2週間後、4週後、4ヶ月後…1年単位になるまでには秋になってた。

手術前日、パキスタンの友人から届いたWhatsAppのスタンプにジワる。

2ヶ月目以降は、術後検診も問題なさそうだし、形だけの最低限になってはきてたし、あちらはどうせ、動き始めてたからといって日本みたいに全てが迅速に運ぶことはありえないので、先行して戻り準備を始める方向性でアタマを切り替えはじめてはみたのだが…。

7〜11月:よしっ、決めた。

上述のとおり、現地の職場にはまだ籍はあることはあるんですが、現地サイドのあちこちにコンタクトを取ってみると、職場での(更に)残念な動向が色々と聞こえてきてしまい、結論から言うと、悩んだ末に復職の道は捨てることにした。

実は、控えめに言っても、よい職場環境ではなかったんですよね。ただあちらに物理的にいられる、というだけで。
でもね、おいらがあちらに行ったのはあの国に行きたかったからであって、あのひどい環境に甘んじたい気持ちは毛頭ないのがぶっちゃけたところで。

あの国での職場環境の標準はおいらには比較の手立てはないのでわからないけど、おいらの急な帰国騒動の際に色々と親身にサポートしてくれた、部門違いのトルコ人の同僚は暫くしてから「この職場にはもう我慢ならん」と、最低限の契約期間を更新することなくトルコに戻った。通算1年いなかった。

パキスタンで再会してお礼がしたかったけど、彼はもうパキスタンには戻らないのか、じゃあいつかまたトルコ寄ってこう、と思ってたら、半年もせずに「戻ってきたぞ、あんたはまだ戻ってこないのか?」と連絡がきた。「あんなに嫌がってたのに?」と思ったら、旧職場にほど近いエリアに別の職場をみつけて、同郷の友人と共に外に部屋を借りて暮らしていて、今は仕事も生活も快適らしい。

なるほど。やっぱりそういう感じか、と改めて思った。

とはいえ、彼にはそれが可能だったとはいえ、外国人「女子」が彼のように気ままに職を得られる世界ではない。

そもそもおいらのいた職場に関して言えば、各国の外国人スタッフは国によって採用のされ方が全く異なる。大半は国や職場が相手国や団体と提携して、そこ経由での派遣で、給料もそこが本国のレートで充分な額を支払ってる。職場自体は何もしなくてもよい。トルコも提携ありきの派遣だ。

日本はそういった提携の為されてない数少ない国(=それが将来に向けて何らメリットを生む、と日本のどこもが思ってないんでしょう)なので、おいらみたいな酔狂な日本人が個人で応募して、現地レートの薄給で採用されてるのだ。
なので同じ「外国人の同僚」という立場であっても、彼とおいらとでは、事情も(母国からの)サポート体制の有無も異なるのだ。

それがネックなので悩み続けてたわけだ。

てなわけで、現地の関係各所にコンタクトは始めてはいたんだけど、それと並行して現地から更にひどい話が聞こえてきたので、毎日悩みに悩んだけど、復職とは違う方向性でまた戻る道を模索することにした。うん、戻るつもりは相変わらず満々で動き出してはいる。

踏ん切りのつかないおいらの背中を決定的に押してくれてありがとうよ、糞職場め。
これはたぶん、災い転じて福となせる!はず!きっと、たぶん!

まだどうなるかはハッキリ解らないけど、うまく運んだらもっと納得のいく形で仕事もプライベートのパ活も進むんじゃないかなって思ってる。いずれにしたってパキスタンなんで、あらゆる事柄は予測不能で紆余曲折付きなのは折り紙付きだけどね。

今後の抱負

もはや「来年の」とかいう区切りじゃなくなってる。
現状を雑な表現で表したら文字通り「一寸先は闇」みたいな。一寸先が誇張なら三寸先くらいかな。なんなら似たような世代のみなさん、そろそろもう先の見えてきた引退に向けて自動運転みたいなお年頃だっていうのに、何やってんだか。

うまくいくかは全然見えないながらに、それでも可能性がこっそりこちらを伺ってるのは見え隠れしてる。助けてくれてる人もいる。あとはタイミングとお天道様次第ですかね。うん、こういう時イスラーム圏だとインシャッラーって言うのよ。

イスラーム圏とやり取りのある大手のビジネスマンあたりには評判の悪いフレーズ、インシャッラー。日本語にしたら「アッラーがお望みなら」なんだけど、ビジネスシーンでは相手方当人に本気で取り組む気のない時に方便的に使われる事が多い、と捉えられてるから評判悪いみたい。

実際、そういう場面で使う人もゼロではないけど、常にそうではないんだよね。本人が「ああ、そうだね、そうしよう、そうなったらいいな!」って心から思ってる時にすら、インシャッラーをつける人が多い。多いっていうか、みんなつけてる。パキスタンではそういう場面をたくさん見てきた。

なのでおいらは個人的にはこの言葉好きなんだな。
だって、未来なんて完全に予測できないじゃん。
椎名林檎も言ってるじゃない。

あなたはすぐに絶対などと云う
あたしは何時も其れを厭がるの
だって冷めてしまっちゃえば 其れすら嘘になるじゃない

明日のことは判らない
だからぎゅっとしていてね

椎名林檎 – ギブス – YouTube

久しぶりに MV の映像観たら、別宗教の、しかもダークサイドなイメージが強いけど、それはさておき。

ムスリムたちにとっては、「絶対に」何かをなし得るのはアッラーだけなんだよね。おれらヒトじゃない。
なので何かを成就出来た時はアッラーに感謝する。
自分の力で頑張ったからこそ出来たことでも感謝する。
自分に慢心しない。
そういうこと。

てな訳で、そもそも現時点で「絶対」戻れるかなんてわかんないけど、インシャッラー戻れるようにインシャッラー頑張るぜ!

しかし椎名林檎で締めになるとは書いてる本人も予想しなかった。周りにあまりいない、誕生日一緒な人なのよね。

最後に

毎回必ず書いてるのですが、おいらはいつもお誘い頂いた際に、12/10 に空きが残ってる時限定で穴埋め要員を務めることにしてます。

なんでって、故ぬこ、ちびさんの命日なので。
てか、2004 年の 12 月 10 日だから、来年で没後 20 年なのか。

さすがにもう命日だからって悲しみに暮れることはないけど、没した当時に一番恐れてた、いつかこいつの「ナ゛ー」というダミ声を忘れてしまうのではないか、は大丈夫だった。まだちゃんと覚えてる。

今、当時を思い返して感じるのは、逝ってしまったことへの悲しさそのものは既に、痛みとは違う、概念的な寂しさでしかない。だけど、あの時に抱いた悲しさという自分の感情そのものについて思い出すと、今でも軽く胸にチクリとくる。

それってやっぱり、死者を悼むという行為は、残された生者の側だけのマターであって、去った側には一切関係ないことなんだろうなあ、ってこと。自分の心の中で、その痛み・悲しみとどう付き合っていくか、みたいな。

そうか、もう 20 年か。そろそろ新たなぬこパートナーがいてもいい気はするんだけどな。己が住所不定な限りは無理だな。