鈴木清写真展「百の階梯、千の来歴」@東京国立近代美術館

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機会があったら鈴木清見てみてください。どんな写真家って?これ系、とか説明しづらいので、と言われてぐぐるでさらっと作品眺めて(あまりヒットしないんだけど)、なんかかなりみるべき感も増したので見に行ってきた。
取り敢えず他の所蔵展も見れるというのではやる心を抑えつつ、その他の作品から順繰りに。

4~3階は近代日本の絵画の歴史、的な感じ。各階気になったのは以下。

4階:
佐伯祐三(絵画)
この人前もどっかで出くわして好きだなぁって思ったよ、確か。パリで描いたというぬこ沢山の大騒ぎのぬこらの描き方がかわいすぎないでとてもよい。

3階:
築地仁(写真)

  • 90年代ごろの作品
  • モノクロ
  • 全部縦位置
  • 縦位置写真ていつからどう思われてるんだろう。
  • 建物に映り込む影と行き交う被写体とのストーリーが絶妙。
  • あと電柱と飛行機かっこよすぎ。

2階:
お目当ての鈴木清
すごいなこのひと。観て以来まんまと心酔しとること厨二の如し。
なんというか、おいらが言語化できずに憧れてる撮り方ってこんななんじゃまいか、というエッセンスが凝縮されてた。
写真集何冊も出してるけどほとんど自費出版なんだって。おかげでAmazon探してもこの写真展のタイミングで出た復刻版以外出てこない訳だ…。
丁度ギャラリートークの時間に行き当たったので追随せずにぼんやり聞きながら見てたけど、おいらとの圧倒的な違いは、写真集や展覧会までも自らで作っていく、むしろそれが何よりしたいことだったのでは、くらい。
今のおれもそっちへのベクトルが必要なのかな。
あと、変わった焼き付けも結構やる人。
色々王道からずれて見えるけど、やっぱり基本の技術や知識ありき、なんだよね。
やー、展覧会お勧めされてよかった。
ちなみに、オペラシティのあの人、ここにもいるんだね。神出鬼没。
ここのあの人はさびしさはなさそう。ていうかこんなにくっついてると、かえって一人になりたくならないのかしら…。

鈴木 清¥ 5,040

あ、後日こんなサイトみつけた。後で読もう。

鈴木清(1943-2000)の作品を顧みるうえで、「書物」は重要なキーワードです。読書家であり、愛読書から得たインスピレーションをしばしば自らの写真の指針としたことだけでなく、編集やデザインの多くの部分も手がけた彼自身の8冊の写真集が、いずれも「書物」と呼ぶにふさわしいものだったからです。

そこで、「鈴木清写真展 百の階梯、千の来歴」では、開催に際し4人の作家の方々に小さなエッセイを寄せてもらいました。それぞれのエッセイがもつキーワードは、鈴木の作品のモティーフにもなった、同時代の社会や旅の時間、文学作品などです。テーマもタイプも異なるこれらのテキストは、いくつもの要素が交錯する鈴木の作品世界を読みとくヒントになることでしょう。

もいっこ、ご本人没後の写真展に際して奥様が書いた文章でこれまたほろりと…。

「オレ、オレでいつも自分のことばっかり……」ある時、私は彼に言い放ったことがあります。彼は私の勢いにも負けず真顔でこう言いました。

「自分が幸せでなくて、どうして人を幸せにできるんだ。みてみろよ、オレの写真展の会場を。みんなあんなに楽しんでいるんだよ…」

昨年 9 月、写真展の会場にいる私の胸の中に、彼のことばが何度もよみがえってきました。

鈴木 洋子

この台詞、まるで我が家の旦那タソではないですかね。モノ作る人はこれくらいじゃないとダメなんかなぁ。おいらにはこの善き意味での俺様思考が足りなすぎるんだなぁ。

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