201402070129
あちこちで喧々諤々ある気がするけどまだちゃんとは目にしてないのだけれど。
ゴーストライター騒動、あれは名義人と実制作者だけを当事者として彼らに眉をひそめる、というよりも、それを消費してきた一般消費者や批評家や各種ギョーカイ――どこになるんだろう、クラシックギョーカイ? 音楽ギョーカイ? それに関連する各種メディア?――も含めて、一体「何」を求めていたのか、そして、それに「何」を提供していたのか、という視点で考え続けてる。
他の人も似たようなコト言ってましたが、そうやって考えてみると、意外とその需要と供給における「何」の部分は、きちんと一致してるのですよね。求められてたのも提供されたのも「作品」ではなく「ストーリー」なんだろうな、と。
この辺は実は、上手く書けてないものの、先日書いた記事「盲目的な評価と引っ張り上げられるということ」でうにゃうにゃ言ってたのと、個人的には根っこの違和感はとてもよく似てるものだったりする。上記の記事では主に、一次コンテンツ提供者とインフルエンサーと一般ユーザー、という三角関係を通しての話でしたが。
何が言いたいかっていうと、今回の当事者たち1はニーズに合った商品を提供して当たってたワケで、エンタメのビジネス・マーケティングとしてはある意味巧者だったとも言えるのかな、と。最後の最後まで夢を見せ続けられなかったのは大失敗だけど、その失敗の原因は、当事者同士でしっかりその「目的完遂」に向けてのコミュニケーションが謀り切れてなかったから途中で謀反が起きた、という別質の問題だよな、と。
逆に、作品に対しての評価、という文化っぽい側面から見てみると、フラットに「そのもの」を評価されるチャンスを持たずに生まれた作品が、改めて真っ直ぐな評価の場に上がれるようになるには、ものすごい時間がかかるんだろうな、というのが、作品に対して可哀想な感じがします。
作品に対して可哀想って、作品を擬人化風+感情込める風でちょっと気持ち悪いな。まぁ、どんな思いで作ろうが、世に出たあとは作品は一人歩きしてくモノなんですけどね。普通は。にしても、世間に放り出される段階で、譜面そのものに加えて、色んなものを背負わされた作品、とは言えそうな。
おいらはクラシックの良し悪しなんてさっぱりわからないのですが、試しにゆうべ、過去に音楽評論家っぽい方が絶賛してたレビューを読みつつ、該当の曲を聴いてみました。普通によくできた交響曲でした。でももうそれ以上、何とも言えないのですよね。
絶賛レビューにも勿論、名義人のプロフィールについては、作品の成り立ちと切っても切れない程度には触れられていました。コンサートのドキュメンタリーの動画も見かけましたが、そちらでも演奏前に譜面を眺める指揮者や奏者の方々が、そのコトに触れずにはいられませんでした。
元の作り手が書いたものとして発表されてたら、それでも数日前までのような評価に至れてたのか。付帯情報のないフラットな状態だったら、どの程度の評価が与えられていた作品かは、今更誰にも「こうだったに違いない」と言える状態じゃありませんよね。今後も暫くは、これまでよりよい評価でも悪い評価でも、何をどう言ったって色々な角度からの邪推は入ってしまうであろう。
さて、オチ無しで話をぶった切りますが、どうせ結論はないのでw
おいら、昨年の11月頭から、長年の習慣だった喫煙習慣を、ほとんど苦しむコトもなく、ナチュラルに絶てているのです。なんでしょうね。今回の禁煙は、あまり計画的ですらなく、覚悟を決めて始めたワケでもなく、その割に精神ベースでパツン、と卒業できた感じ。そういうタイミングだったんでしょう。
これまで禁煙失敗に至ってた、精神面での喫煙行動に対する固執を、理由は不明だけど、うまいこと納得して克服出来ちゃった感じなのかな。ホントに普段、自発的に煙草に郷愁を抱くことすらない……というか、今日の昼も、「たまに、喫煙してたこと自体が不思議に思えるわ」とか思ってたところ。
でね、今日、夜に散歩に出たところ、火事に出くわしました。当初はやや煙多めのボヤくらいかと思いきや、消火活動が進むにつれ、火元が露わになるせいか、煙の量と範囲がすごいコトになり、帰宅する頃にはすっかりあの、火事独特のスス臭さに全身まみれておったのです。
すると、驚いたことに、コレを書いている深夜の間に珍しく、喫煙の渇望が頭をもたげており、ちょっと自分が驚き戸惑っております。まるで禁煙二日目みたいな感覚。
あの火事の、各種可燃物を燃やす煙に全身を一定時間以上晒してしまったせいなんでしょうかね。忘れてた渇望を脳が思い出してドーパミンを刺激しちゃうのに充分なだけはケミカルな煤煙だったんじゃないかと思います。
禁煙直後の2週間でまずは「喫煙習慣」をほぼ絶って、その後に本格的にニコチンゼロにしたのですが、少なく見積もっても二ヶ月半は完全にニコ絶ちしてるので、物理的なニコチン中毒はとっくに切れてるはずなんですけどね、こういった、脳が記憶してしまった条件反射は残ってしまうんだろうなぁ。
禁煙した人は火事場に近づいちゃいけませんね。勿論、そうじゃない人もですが。
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当事者たちなのか、一方の当事者だけなのかは、片側の吐露しかない現時点では、なんとも曖昧。 ↩