動画あれこれ、記事あれこれ、駄文あれこれ(文章表現、書き付けること)

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動画あれこれ

ドラム叩くフェレゴラとかドびっくり?

FBでダイジェストは見かけたけど、ちゃんぽんFabroの長いバージョンあった???

BrigadeとCeleoのライブ?って思ったら、飛ばし飛ばしで見る限り、一緒にやるんじゃなくて代わりばんこにピンで、って感じなのね。おいらはどっちも好きだけど、Sebenなライブでより映えるのは意外とBrigadeなのかすらね。へー。

記事あれこれ

コンゴ音楽関連

ウガンダの国立公園誘拐事件関連

エボラ関連

ルワンダ関連

その他コンゴ関連

更なるその他

文章表現

わー、するする。多用する。ついでに言うと「まぁ」を使いがちな自覚はあったので、それは極力控えようと思ってるんだけど、それすらなかなか難しい。

本文中に出てきた修正例見てて思ったけど、おいらの文章も常々、断定せず、ふんわり書き散らかす、にとどめておきたい気持ちが強いから、そういう曖昧な言葉を挟んで誤魔化そうとしてるんだろうなぁ。

…でも、少なくともココに関しては、そういうスタンスなら、それがしっかり表れてるだろうし、別にいんでね?みたいな気持ちも薄っすらありつつも、これでも(これでも!)文章書くトレーニングみたいな意識も兼ねてるつもりなので、もうちょっと意識してみよう。意識するだけは、ね。

これまで書いたヤツ全部、こういう文章表現のよい・わるい、系の記事に即して推敲し直したらどうなるんだろう、なんてよく思う。

何度目の坊主かわからないけど

再びちょいちょい、その日に見聞きしたものをここに纏めて載せたり、それに付随する何かを書き付けたりしはじめて、人は膨大な情報を日々得てるんだなーと改めて感じてる。

で、その見聞きした膨大ものについて、どう思考するか、どう処理するか、どう取捨選択していくか、どう派生させていくか、そういうものの視覚化として見返すのが面白い。

見返すのは大抵、せいぜい1週間くらい前の投稿までなんだけど、まだ記憶はそこそこ鮮明な直近過去が故に、そういう面白みや気付きも強く感じられるのかも。

ある記事は、その時とても気持ちを波立たせたかもしれないけど、多く言及していなかったり、それでもずっと心には留まってたり。

ある記事は、さほど心には引っかからなかったけど、ピックアップしておこう、という気持ちにはなって、ほんの数クリックでコピペ…で終わり、と思ったら、興が乗って、そこから派生した思考を延々書き付けはじめたり。

しかも、それでも数週間、数カ月後には、そんな思考をしたことも忘れてたり。読み返したら鮮明に思い出したり、読み返しても、「なんでおいらはこの時こんな事を延々と…」と訝ったり。

書き付けるって、後々役に立つか立たないかはわからないながらに、それでもいい財産かもなぁ。本人にとっては、ね!