写真の作品としての最終形態

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中平卓馬の写真展が今日(2011/01/08)から2箇所で同時開催開始、というコトで、ハシゴしちゃおうかとも思ったけど、軽く体調不良もあり、明日で会期を終えるマグナムと同じ銀座で開催している方のみ見に行ってきた。

両展覧会の感想系は書くとしても別途記事にて。
ということで、ここはそこからあれこれ派生して浮遊した厨二的思考をただまとめておくのみに留めます。

見終わってふらふら写真撮りながら東京駅に向かい、帰りの電車で(いつものようについったで)、ふと、

なんてコトをつぶやいていたところ、別会場の展示内容を教えてくれた人がいた。
その方の話も総合してみると、なんとなく、今日行った写真集の販売代理も兼ねてる銀座では今回発売される新刊本掲載の内容に忠実(点数多め、サイズも本と同一)、もう一方はよりぬき豪華版(点数少なめ、サイズ大きめ)という差別化なのかな。

…と、他会場の様子も知り、デカくした作品も見たいかな、どうかな、なんて思ってるウチに湧いてきた疑問のつぶやきが以下。

要するに、ヘタクソなりに撮ってる側として、もし作品毎に「これが最終形態、これが完成形」って意図しているものがあるのならそれを見てみたいなぁ、って単純に思っただけなんだけどね。
いや、なんだろ、写真集発売→関連展覧会な流れみたいだし、そもそもの最終形態自体がA4?
いやいや、それはそれでアリだと本気で思ってたりもするので、であれば拡大したものを見る必要はあるの?とかとかとか。

でもここで軽く我に立ち帰る。

まぁでも、ファインダー覗いたりシャッター押したりしてる時に明確にコレ!なんてないのかな、無意識にはあるかもしれないし、その無意識こそが最終形態を左右するとはしても、そのフェーズでは作品未満な訳だし。

それよりなにより「自分」のやり方に置き換えてどうなるものでもない。
「これを作品として完成させるに至る作者の思いが云々…」って語りは巷でもよく耳にするけど、実際に本人に聞いた話以外のオレオレ物差し範疇な推測って色々狭めて物語を都合よく完結させちゃう気がするのでしたくない。

とかとか、ついった上ではそのまんま尻切れだし、その後延々考え続けてた訳でもなく、ぼんやりと、「そんな疑問は多分作家次第」だろうし、「正解も模範解答もない」し、「キメる必要すらない」コトなんじゃなかろうか、と思ったりはしてるので厨二臭いわー、とか思いつつ、それでもなんとなくコレって墓に入る頃までには自分はこう思い至ったよ、こうやってたよ、ってのがあるといいなぁ、と思ったのでまとめるに至ってる次第。

なんだかペペッてコピペのみでさっくり済ませようとした割に書いちゃったな。もっと寡黙な人になりたいんだわ。 :-p

でもこういうのも面白いかも。同じ作家の同じ作品の見せ方比較みたいなおまけつき。
じゃなきゃ、今日みたいな疑問を言語化することなく過ぎてってたかも。

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