裁きと常識

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どこで行き当たったのか覚えてないのですが、今日はこの記事で紹介されてる動画を眺めて、少し思うところがあった。

記事タイトルの「これは泣いた」があざとい感じがしちゃって、紹介しようか躊躇したのだけど。

ゲイについては否定だの肯定だのにすら頓着してないスタンスですが、主題であるゲイ家族についての云々や土地柄別比較は、今回のおいらにとっての主題ではないです。


何が気になったかって、実験その2でお手紙書いてきたドノバンさんのウェイトレスを諫める言葉に出てきた “Don’t judge” がね。なんか響いちゃったワケです。

動画の会話を和訳をした別記事( fathomlessテキサス動画の和訳してみました)が、別途公開されたようなので、細かいやりとりはそちら観ながら動画観るのもいいかもしれません。

なんというか、日々、「自分の知ってる範囲」という限られた断片的な材料だけで、人は容易に他者を裁くものなんだよね。

なるべくそうはならないよう努めてたとしても、おいらも偏った情報だけで、誰かや何かを裁いてばかりいるんだろうし、おいら自身も一方的に裁かれて、苦しさともどかしさで泣くしかない時だってある。

自分の中での、数少ない信念みたいなものって今までは、「(少なくとも)自分が嫌だと思ってるコトは、自ら他人にはやらないようにする」だったのだけど、ここ暫くこの考え方にも限界がある気がしてた。

この番組でなければ思い至れなかった質のものではないのだろうけど、きっかけとして、その限界論が、この番組眺めてて、さっきの台詞を聞いた時に、なんとなく確信に変ってきたのです。や、よいきっかけにはなった。

自分相対値の物差しによる正義とか信念を基準にしてしまうと、どうしたって自分も、悪意無く他者に刃を向けることが出来てしまう。

このウェイトレスの行動の基準になってる物差しは「同性愛は悪」ありきで、それを前提に養育されてる子供の身を大まじめに案じたら、周囲が「裁くな」と言っても尚、ああいう攻撃は正々堂々と成立してしまう。

出てきたウェイトレスみたいなステレオタイプなゲイフォビアは実際いるだろうし、実際にああやって暴走してたとしたら、周囲がどれだけ反対していても「正しいことのためには、どんなに劣勢であっても声を上げなければ」という固い信念の元に頑張っちゃってることだろう。

で、ウェイトレスと同じ物差し持つ人もゼロではないのが現実なので、影に日向に支援・同意するだろう。ウェイトレスにサムアップしたおっさんのように。

収録場所はテキサス。ちなみに、テキサスはジョージ・ブッシュ・ジュニアがかつて州知事を務めた州であり、「赤い州」と呼ばれる共和党が強い地域で、同性婚はおろかパートナーシップ法もないというお土地柄。

…と、記事中にあったとおり、土地柄のイメージとしては(今回のお題である)同性愛への理解は米国にしてはあまり得られない地域なので、ある意味州外・国外の人からすれば、ここで周囲のお客さんの反応が、店員のゲイフォビアな振る舞いを積極的に許さない人が多かった、というのが意外だったワケだ。

コミュニティというのは大小問わず、大勢が同じ「常識」を美徳や善行、不道徳や不埒として共有している前提がある。国であれ、州であれ、街であれ、民族であれ、趣味サークルであれ、友人同士であれ(以下略。

同一コミュニティ内では、言わずもがなな常識で諮れてしまう Judgement へのステップは更に短縮され、簡略化され、パッと見で「あんなコトするヤツは人非人」「そんな行動は悪」という反応が可能になって、疑問を挟む余地というものはどんどん少なくなってしまう。

そういう簡略化自体も、ごくごく自然なコミュニティとしての智恵のようなものかもしれないが、どのコミュニティの構成員にだって個々の裏事情が隠れてることだってあるし、ゼロイチで善か悪かなんて諮れるものではない。

全部そうだとは勿論言わない。ピュアな悪だってこの世には沢山ある。けれど、常識に基づいて、聞くまでもなく裁かれてしまった罪人は、大概の場合言葉も返せず、投げられた石を受け続けるしかないのだ。

それが続けば、本人にとってすら、真意はどうでもよいものとなり、自ら卑屈な、罪人らしい振る舞いをするようになっていく。

ああ、そんな壮大な所まで書いたり思い至ったりするつもりはなかった。

自分が「既に」どちらかの当事者にならざるを得ない、または、なってしまっている部分に関しては、その時点で、客観的なものの見方が不能になっている、つまりは、当事者にはなす術はないと思ってる。

当事者ケースを並列に扱うとややこしいことになってしまう。その部分はどうでもいい。

ここに来て、身も蓋もないほどに傍観者っぽいですかね、すいませんw でも傍観者として出来る事の方が多いし、みんながそうやってけたら、おそらく、個々人がストイックに個々人の意識高めるかのような努力をしていくよりも、効率いい気もします。

自分が傍観者として、他者による他者への Judgement の場に行き当たってしまった時は、せめて、その場の裁判長殿に対して、手元にある事実で充分に裁ける状態かどうかを上手に尋ねられるようになれたらいいな、と思いはじめてる。

大したコトは出来ないし、積極的に介入したいとも正直思ってはいないし、一呼吸置いて尚、裁判長殿は同じ判断に至るかもしれないし、それが正しいコトだってあるだろう。

けど、一呼吸置いた後なら、結果は同じでも経過は多少異なってるはずで、perfect でも best でもないにせよ、 better に近づいてるんじゃないかな、と。あちこちがそうなってけたらいいな、と思うワケです。


しかし、取り上げといてこんなコト言うのもナンですけど、仕込みで周囲の反応を伺うドッキリ系番組は、どんなに内容が真面目っぽくても(というか、真面目であればあるほど、かな)、他人の良心を浪費する感じがするので、観た後に微妙な気分になりますね。あと、ああいう番組で攻撃者役やるの、かなりタフだろうなぁ。


全く関係ないけど、おいらは Judgement でなんとなく覚えてたのに、念為の辞書チェックで Judgement で意味が出てこず、 Judgment に置きかえられたので「???」って思ったのですが、どちらも間違いではないものの、 e 付きは米語なのですね。しらんかった。

学校ではどっちで習ったんだろう、日本の英語教育は中途半端に米語だから e 付きだったのかしら。今となっては覚えてない。

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