音楽への偏愛の始まりかた

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音楽を愛するということは、詩から入る人もいるかもしれない。
そういう人は歌詞が分からないと愛することができないんだと思う。

翻って私は、若い時のヒップホップ、あと、カゥワーリを含めたパキスタン音楽、あとはコンゴの音楽、いずれも言語が全くわからない状態で、まずは恋に落ちてる。

なので音楽って、なんだろうな、言葉の理解は、主かもしれないけど必ずしもそうではないのかもしれないと思っている。

言葉の理解は後からいくらか追いつくことは出来るし、その反面、異国の音楽は、言語理解だけでは、その言語のネイティブ、土地のローカルでない限り、完全に解りきれるものにはなり得ない面も事実としてある。

そして、そうだな、そこへの共感とか同調とか歩み寄り、みたいなものも、それは「肌で」「どう愛せたか」によりけりであって変わってくことだから、常に言葉が最初である必要はないんだと思う。

言葉の理解から音楽を愛する人がいることも事実なんだと思う。
実際、意味のわからない曲聴いて何が楽しいの?って聞かれたこともある。
でも、言葉以外のところで愛し始める人も私だけではなく、それなりに存在するとは思う。

で、どちらの側にとっても、反対側の愛し方を始める人がいるという存在は否定してはいけない、どちらが正しい、間違ってる、という話ではないんだろうな、と思ってる。


…と、最近、言語理解が不充分なままに心を動かされたカゥワーリを聴きながらボイスメモ→音声入力書き起こし→整形した。

何が言いたいのか、結論のよくわからない文章だけど、自分の中でモヤーンとしてるものの核部分はちょっと出たような出てないような。

それでも、こういうの、頭で考えてキーボードカタカタ、だと、Mind Clip(←今テキトウに考えた造語)が追いつかないからやっぱりボイスメモからの音声入力便利だわ。

ボイスメモまんまだとさすがに、自分の中では考えてたけどすっ飛ばして言ってるコトも多いから、音声入力で整形しつつ、最低限の捕捉や書き直し、ってのが今の所ベストかなー。

それでも上述の通り、第三者向けにはおそらく相当に意味不明ではありそうだけど、いいんだわ、ここは書き散らしで。
ここは、つったって、他に更にきちんと書くかってのは置いといてw

多分、大昔に、意味分かんないのに聴いてて何が楽しい?みたいなコト言われたのかも。いや、以前はセルフツッコミ的に自分でもそう思ってたかも。

そんな見えない何かたちへの反論兼自己納得自己完結、って感じかも。

そりゃ、何について歌ってるのかさっぱり解らないで聴くのは圧倒的な片手落ち(って今は言っちゃいけない言葉かな)だけど、それでも聴いてる耳からじゃなくて、なんかこう、全身から色んなものが出たり入ったりする時って、実際あるよ。

それがあって、その曲を愛しはじめて、何歌ってるの?に向かってって、更に惚れるもよし、なぁーんだ、つまらんコト歌ってた、って拍子抜けするのもよし。

そうだね、最終的に、言語理解への興味には繋がるんだ、大抵。結局。

だったら入り口はなんでもいいよね、ってコト。

あと、解らないから聴こうとしない、はもったいないよ、ってのも。

まぁ、そういう異国の曲そのものに興味すら持てない場合は無理したってしょうがないけど。