なんでもない夜の町

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そういえば、ここでほぼ毎日よもやま話を書きはじめて、はやひと月を過ぎてたのですね。気づかんかった。

日付け的には2008年の8月あたりからあるようですが、大体その頃にテキトウに blogger でブログ作って、思い出したように書き散らかしたり、各所のログをアーカイブしたりしてたのだけど、一応記事の体裁を持ってるものだけ整理・統合した記憶。

しかし内容は昔も今もうっすいままだなw

考えてみたら今週、余裕があるある言ってたわりに、月曜からこっち、ずーっと、言葉どおり引きこもり状態だったコトに気づいて、(というワケでもないのですが、)おいらとは対照的に、突発的なお付き合い会合などで出ずっぱりだった配偶者が帰宅した後、連れだって夜の散歩に出向きました。

一時間半くらい、とりとめのない話をしながら、気の赴くままにふらふらと歩くのは、特別ななにかがあるわけじゃないけど、とても楽しくて。

なんだろう、おいらは写真でもそうなんだけど、名前のある個々人にはさほど関心がないようで、その分、至る所での人の痕跡、暮らしの痕跡、営みの痕跡、そんなのを拾い歩くのが大好きなのですよね。

(写真は同じ平塚市内だけど、別の日の夜の、別の場所)

冬の夜の町……だったからかどうかは、定かではないけれど、幹線道路沿いなのに薄暗くて、道幅は広いのにあまり人の往来はなくて、よく見ると通り沿いの建物の半数は一般住宅ではなく、だだっ広い工場の入り口だったり、人の去った事務所だったり、奥で店主が退屈そうに読書をしている客のいない飲食店だったり、生活感のない瀟洒なモデルルームだったり。

そんな、住宅地とは到底言えない場所にある住宅群は、二階にだけ点いてる明かりが申し訳程度に漏れてるだけだったり、奥の居間の明かりでぼんやり照らされた、台所の窓にぶら下がる調理器具の影だったり、煌々と明るく照らされた立派そうな家などひとつもない頼りなげな住宅群だ。

住民のささやかな愉しみは園芸なのか、車道からの砂塵を被りつつも、手入れをされたプランターが、家々の路面外壁沿いびっしりと、車道キワの縁石部分との両側から、歩道に向って色々な枝を付き出している。

こういうかすかな息づかいを拾い上げるのが大好きなのです。恐らく、気配さえあれば、人そのものはどっちでもいい。居なくていいw

こんな散歩、そのうち知らない土地に、電車に乗ってしに行ってもいいね、なんて話をしたり。うん、それも楽しいかも。夜には限らないけど、でも、夜は違った顔を見せてくれるしね。繁華街じゃなくても。

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