201401140205
多忙で詳細を追えないままにいた南米新婚旅行で撃たれてしまった人のニュース。その後のネットの喧々諤々も斜め読みしかしてないのだけど、この記事が実際に近いのかもなぁ、とは思った。
おいら自身、旅慣れるにはほど遠い……割に、妙な旅をほんの少々、という感じなワケだけど、おいらの場合はピンで出向きつつも、深かれ浅かれ、現地に既知の知人ありきの、意外と他力本願な異国滞在が多かった。我ながら意外だけど、バックパックでドミトリー一人旅、みたいな経験は皆無だ。
複数回行った英国スコットランドも、気づいたら二ヶ月越えしてしまったパキスタンも、現地の知人宅やホテルを転々としつつ、基本は知人のエスコートありだった。米国ニューヨーククイーンズもそんな感じだったな。
時間に余裕さえあって、相手がある程度信頼出来れば、現地の知人を訪ねる旅、観光地じゃない所(知人宅)起点で街も楽しめるし、ベタな観光地もレアな街も連れてってもらえて、安全で非常に面白い。
この「ある程度信頼出来れば」という前提条件がキモな気もするのだが、ここはワタシの場合は運がよかっただけかもしれないので、人にも同じ旅を薦められるかというと微妙な所ではある。
それは無理でも、英国だったらB&B1みたいな、人んチっぽいような民宿っぽいような宿泊システムがある土地でなら、試しにお世話になる、とかは、旅程に入れてもいいと思う。ホテルや安宿以外の選択肢として。……なぁんて、おいらは必要性がなかったので実際やってないので無保証だけど。
いくら旅慣れても、それが一時的な滞在でしかない限りは、その土地で異邦人でしかない限りは、自分がそこに身を置いた、その場、その時の状況をよそ者の立場でしか見るコトが出来ない。
成功体験が積み重なれば積み重なるほど、「大丈夫、言われてるほど危なくないし、以前はこれで切り抜けられた」みたいな感覚は持ってしまう。でも、その都度、運がどの程度加味されていたのかは、その土地の日常を知らないから計れない。
その運の良さには、「自分はたまたま被害にあわなかったけど、先週、隣にいたあの人は殺された。生死を分けたのはたまたまでしかない」みたいなその地域での日常の危険の確率情報は確かに入らない。
パキスタンの大田舎に滞在していた時、滞在先の家族全員でその大田舎から別の大田舎に暮らす親戚を訪ねに行ったコトがあった。小さな4ドアに大人が6人に赤子と幼児で2人くらいでギュウギュウ詰めになって。
一応お客さんと言うことで気を使ってもらったので、すし詰めの後ろの席ではなく、幼児付きで助手席を割り当てられたのだが、出かける直前に「あ、これダッシュボードに仕舞っといて」とカジュアルに拳銃を渡された。ずっしり。びっくり。
それだけで今更ビクビクですよ! まぁ、渡してる相手もその家族達も意外にフツーにしてるので、こちらの考えすぎなだけだったのかもしれませんが、なんせ拳銃のある日常なんて初体験ですから。なんで、なんで、なんでそんなモノがここにあって、なんでそんなモノを持参するの、一体どこに行くの、ここはどこなの! と、その時点では今更感溢れる疑問が溢れ出る。
街と街の間に山賊が出る地域があるから念のため、との回答だったが、日の高かった往路はさておき、日の落ちてる復路はもう、疲れてるんだけど怖くて緊張して目を閉じてらんない。とはいえ緊張しすぎの相乗効果で疲れ切ってるもんだから寝るに寝れない気分のまま白目むいて悪路を揺られてた。
道中、具体的にどこが危険スポットかは教えてもらわなかった(怖くて聞けなかった)けど、街を外れて、いかにもな、道路なんだか藪なんだかわからない、走ってる車の両脇から背の高めな草が窓にピシピシ当たって道の向こうがどうなってるのか伺い知れないような道ではもう、ホントに、山賊とやらが、いつ、どこから飛び出してきてもおかしくなさそうで生きた心地もしなかった。や、大袈裟だけど、脳内的には、大まじめにそんな大袈裟な恐怖の中にいたのである。
その時のワタシは、知人の家に、というコトで、滞在先の詳細すら頓着しないで漫然と連れてってもらい、漫然とお世話になってた。北西部。ラホールからの長距離バスで着いたペシャワールから、更に車で小一時間のパシュトゥン部族の田舎町。街と街を繋ぐ幹線道路脇はアフガン難民の仮住まいが立ち並んでる。
あの頃は世界中の誰もが名前も知らないでいたけど、その後、911で注目を浴びることになったタリバンが、戦闘訓練とかを繰り返してた地域に結構近い場所だったように思う。かといって、それ自体が外国人に脅威、とかではないし、地元民と行動を共にしてるので、無茶ぶりは皆無ではあったんだけどね。都市部より保守的な習慣を逆手に取って、そこに外国人がいると厄介な場所を通過するときは全身隠れる布を頭から被ったり。あ、むしろこれはある種、無茶ぶり…かw
そもそも、パキスタンに行くことにはなったものの、ワタシ、土地にも情勢にも頓着はなかった。なさすぎた。旅と言うより、文字通り「ちょっと友達んチ行ってくらぁ」の長距離版でしかなかったのだ。
あれれ、こんなに長々パキスタンの思い出書くつもりではなかったのだけど。
風変わりなディープな旅をさせてもらったりはしたものの、どの場面でも、ちょっと運が暗転してたら何が起きるかなんてわからなかった。そういったコトを肝に銘じつつ、でも土地の人と上手に触れ合える旅がまた出来たらいいなぁ、と思います。もう無理かな。
なかなか実現しなそうだけど、いつか印度に行くにあたっては、もう歳も歳だし、当たって砕けるような旅にはしないと思います。多分。当たったら即、粉々に砕け散る気がするしw
あぁ、そういえばまさに今日、久しぶりにケララの古いネット友達のワカモノからひょっこりIMが来た。ケララにいつ来るの? まだ? 実はね、国を離れる計画を立ててるんだ、まだすぐじゃあないんだけど、僕がこっちにいる間に来てよね! と言われた。
あぁ、ケララの大自然のエスコートにタイムリミットが…! おカネ貯めなくちゃ! 貯まらない!!