201403040141
さあて、何日ぶりかしら。
インフル病み上がりに一度書いたっきりな記憶。
その後も予後不良を長々引っ張ってしまい、再度医者に行って漢方を処方してもらったりしてました。
そうは言っても仕事は待ってくれない。
代わりもいない。
ぼんやりした能率の悪いアタマで、普段以上の時間をかけて、溜まった作業と、日々増えゆく作業をこなす。
しわよせ恐ろしい、しわよせ。
それでなくても日数の少ない2月に寝込む、はつくづく鬼門です。
めっちゃ身をもって知ったわ。
やー、しかし、このブログがそのまんま坊主にならなくてよかったですね!
危うい危ういw
そんなこんなで、ワケも解らぬ状態でなんとか2月をやり過ごし、月初。
そう、月初。ああ、月初。
月初もまだね、月初ならではの作業は山積しており、この週末は別作業もあったため、全然落ち着く暇がありませぬ。
そんな中、某所で友達とちょこちょこっと真面目な語りをしてて、そんな語りの中で出てきた、最近ちらっと頭の隅なり心の端に軽めに留めてる思考の断片だけ並べておこうかな、と。
オチもまとまりも全然なし。
善人っているじゃないですか。別に特別な善人じゃなくていいんだけど、普通に「あの人はいい人だよね」程度の、ごくごく普通な善人。
いい人はいい。以上。あっ、ハナシ終わった? そうじゃない。
困ってしまうのは、いい人なのは確かなんだけど、意識の高さを、己の背丈や器よりやや高め設定したい気持ちが強くて、それが何かのきっかけで、自分の実際以上の善い人を「演じ」はじめてしまった…としたら、恐らくそれは間違った道なんじゃないのかな、というあたりをぼんやりとね、考えてる。
それはもはや向上心の向かう方角ではなくて、心の弱さとか虚栄とか見栄とか承認欲求とか、結果的に「善なるナニカ」からは逆行した方角に逸れてしまってる、というコトなんだろう。
(しかし、なんでこれ系の言葉には「栄」がよく付いてるんだろう。)
善が悪に……というワケではないから何なんだろう。あぁ、善とセットになりがちな聖が俗になる感じ?
いずれにせよ、本人的には初期の動機があくまで「善人であれ。気高くあれ。美しくあれ。」のような意識の高さドリブンであればあるほど、傍からすると、どうにももどかしい感覚に陥ってしまう時がある。
なんだろう、「だとしたら、歩むべきはそちら側ではなくて、あちら側では」みたいなのを指摘した方がいいのかな、と思う反面、本人が信じてギリギリ頑張ってるものを否定する格好になるからだ。
そこで否定してしまったら傷つけてしまう、と、ツッコミを憚らせるのも本人の弱さが周囲に透けて見えているからなんじゃないかな、という気はするが、つっこんでも否定してしまう格好だし、さりとてつっこまずに静観してる方が実は、自分の中では不実な感じがしてしまう。
でも、相手も子供ではない。それが本人の選択で行動しているコトなのである限り、それについてこちら側がアクションをするか否かは結局の所、二次的なもの。それによってこちら側が自分の不実について責めたり葛藤するべきコトではないのかもしれない。
もうひとつの重要なファクターとして、今回は、多少相手を傷つけたり、嫌われたりしても指摘する、という程に近しい相手ではない、というのもあるな。これは大きい。そう、おいらの性格上、相手がもうひとこえ自分に近しい大事な存在だったら多分、何も考えずにツッコミ入れてると思うわ。
他人様向けとしてはとっ散らかったままだけど、文字にしてみたら少しだけもやもやした感じが自分の中ではまとまってきたかな。
いやぁ、しかし善人だナンだって、じゃあおまえはナニサマだよって感じですかね。
おいらは善人ではないし、善人に憧れもない。あぁ、それに、そもそも善人を目指す資格無しな属性も背負ってるといえば背負ってる。
そうか、それが故に今やラクなのかもしれないな。
うん、これは間違って入ってしまったお嬢様学校な進学校で、素行不良な劣等生の烙印を押された時と同じ安堵感なのかもしれない。望んでもいなかったギスギスした競争レーンからオフィシャルに外れた感じ。後ろ指さされようが何しようが、不戦敗ほど穏やかな平和はなかなかないんだな、これが。
なまじ「善人受験資格」があると合格点もらえるまでがんがらなきゃいけない、みたいな焦燥感を持ってしまう人もいるのかもしれないね。合否判定は誰がするワケでもない、自分にしか出来ないんだけどね。
おいらは下世話な俗人だし、偏屈だし、好き嫌いも激しいし、万人に優しくもできない。けど、歳を重ねる毎にそれでいいって思うようになってきてる。
何よりも誰よりも、自分に正直でいたいし、そうするとどうしたって俗っぽくて狭量になる筈なんだもの。ヒトってそんなもんでしょ。みんな他人にも自分にも期待しすぎてるよ、特に最近。
いくつか自分なりの Do’s や Don’ts だとか、美学めいたものはあって、恐らくはそれらに沿ってココでも、ああでもないこうでもない、と思考をぶちまけてるんだろうな。でも、それらも全て、基本は自分が自分に納得するためのもの。
あれれ、まとまりかけてたのに矛先が変ってまたとっ散らかってしまった。まぁいいや。これについては今後も思い出しては考えてくと思う。
取り敢えず言えるのは、「君子危うきに近寄らず、俗人善人に近寄らず」てな感じかね。
友達との会話からは、もう一つの思考と二本立てだったんだけど、もう一つについては、多分、いつかまた。
この友達とおいらは、とても似てて、でもとても違うので、で、互いにそれをわかった上であれこれ話すから面白い思考のきっかけが出るコトが多いのかもな。
ああ、思考するってやっぱり楽しい。
究極の自慰行為かもしれんなぁ。
やだ、じゃあ、ここ、公開で…ポッ///
(いやまぁ、ここも何処も彼処も全部そうだろうよ。 So what? )